山田 祐也 | TOP ROOKIE 2019|ボートレース

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yuya yamada 4757山田 祐也

G1やSG権利取得に向けて、
おもいっきりレースして
勝率を稼ぎます!

Information 2018年3月現在

  • 生年月日:1989/7/6
  • 支部:徳島
  • 出身地:高知
  • 身長:170cm
  • 体重:53kg
  • 登録期:112
  • 級別:A1
  • 血液型:A

山田 祐也 選手の Special Movie

水神祭記録

レーサーズ図鑑

初出走
2013年5月2日~ ボートレース鳴門 一般
初1着
2013年6月7日~ ボートレース鳴門 一般
初優出
2015年1月29日? ボートレース津 一般
初優勝
2016年12月13日~ ボートレース平和島 一般

Q & A

Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
A嬉しく思っています。
自覚を持ってやっていこうと思います。
Qレース前のルーティーンはありますか?
A特になし
Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
A気持ちだけは負けないつもりです。
Qリラックス方法をおしえてください。
A音楽でリラックス
Q今後の目標を教えて下さい。
A直近はG1をとる事

山田 祐也 選手の
ここがすごい

16年新人王は
5コースまくり差しが
最大の武器

16年の最優秀新人に選ばれた逸材である。同年の新人王争いでは決してリードしている存在ではなかったが、後半に入って成長は急加速。12月に入って一気に2優勝を果たして、逆転で新人王をもぎ取った形だった。それもあって、翌17年には地元の鳴門推薦でSGボートレースメモリアルに出場。SG初1着もマークした。その後、1期だけA2級に降級したが、すぐにA1級に復帰。ますます存在感を増している。

コース不問でのオールラウンダーぶりが特徴的ではあるが、特に5コースでの強さは特筆ものだ。スピード感ある鋭いまくり差しで1着を量産。5コース成績はルーキーはおろか、全レーサーのなかでも屈指の高さである。19年は、ハンドルワークにますます磨きをかけて、記念戦線にも殴り込んでいきたいところ。ちなみに、やはりボート界屈指のイケメンとして、人気を博してもいる。

TOP ROOKIEの横顔

人を励ます
『触媒』のような人物

「ボートレーサーになる前は普通のサラリーマンでした」。2016年優秀選手表彰式典で最優秀新人選手に輝いた山田祐也は、兵庫県の自動車部品工場からの転職組だ。排気ガスに含まれている有毒成分を化学反応によって低減する装置『触媒』に関わっていた。

高知県下の工業高校を卒業し仕事に励んでいたが、ボートレーサー募集のテレビCMを見たことが山田の運命を変えた。得てして人生とはそういうもの。自分では決められないことで満ちている。

2013年5月のデビュー以降、着々と成績を伸ばしてきた山田だが、『この人!』という師匠がいたわけではない。自前の強さなのだ。それでいて一匹狼ではなく垣根なく人と接することができる。ある時「僕のモーター、どう思いますか?」と感想を求められたことがあるが、プロでもない者の『根拠のない感覚』にじっと耳を傾けてくれた素直さと一生懸命さに心を打たれた。そういえば、同じ高知出身の記念ウイナー片岡雅裕も「SGレーサーって、ピットでどうしているんですか?」と質問してきたことがある。素直さは美徳。土佐の気質だろうか。

最優秀新人選手となった2016年は、年末に平和島・鳴門で連続優勝。新人賞争いをしていた山崎郡を交わし檜舞台に立った。タキシードがよく似合い、ピット以上に正統派のイケメンであることを印象づけたのは記憶に新しい。ちなみに、正統派とは物事を斜めから見ない真摯(しんし)さが由来である。山田祐也の人柄そのものと言っていい。

2018年は優勝1回のみ。やや苦しんだが、2019年は早々に連続優勝。波に乗っている。

『人生の上でうまくいかないこと』を有害物質に例えるなら、山田祐也は『触媒』。無害化してしまう。外見だけでなく、内面もイケメンな山田祐也には人を励ます力がある。

山田 祐也 選手のこのレースがすごい!2018

2018年三国G1 65周年北陸艇王決定戦2日目 11R (12月5日)鋭い2コース差しでSGウイナー撃破!

山田の主武器は鋭くスピードに乗った差し、まくり差し。特に5コースまくり差しは絶品だ。また2コース差しも達者で、17年ボートレースメモリアルでSG初1着をゲットしたのも2コース差しだった。2018年も、鮮やかな差し切りを見せている。

12月の三国周年だ。1号艇はSGウイナーの吉田拡郎。4号艇にも魚谷智之がおり、実績的には山田を圧倒する相手ばかりの一戦だった。それでもひるまず山田はコンマ09のトップタイスタート。同タイミングでスリットを駆け抜けていたインの吉田の逃げ切り態勢だったところを、山田は得意の差しハンドルでとらえきったのだ。

残念ながら勝負駆けに失敗して、予選落ちを喫してしまっているが、しかしG1の舞台でインコース以外から勝ち切れたことは大きい。19年に入ってからも四国地区選手権で2コース差し切りを決めており、さらにこの技を磨くことで大舞台を見据えていくことになる。